北曽戸高校言オリ部 1

趣味で書いている言オリ小説「北曽戸高校言オリ部」です。プロローグの3話を公開していきます。

 

 言語分析の能力が試される知の競技、言オリ。長らく世に知られていなかったが、高宮詩乃(たかみや しの)が国際大会で金賞を受賞し世界3位に輝いたことをきっかけに、知名度が急上昇した。それから数年後、ここ北曽戸高校では、一人の少女が言語学部を創設するため奔走していた......

注: 作中の「言オリ」は言語学オリンピックをモデルにしています。作中の言語学に関する知識が正確であることは保証しません。

 登場人物:

織野詞葉(おりの ことは)

小牧夕夏(こまき ゆうか)

 

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 ここ、北曽戸高校の一年二組の教室で、織野詞葉は授業を聞き流しつつ思案していた。高校生活は始まったばかりとはいえもう四月も終わろうとしている。それなのに詞葉は入る部活も決まっていなければ特に仲の良い友達もいないのであった。

 

 もちろん、中学生の頃と同じように学校が終われば家に帰り、読書をしたり音楽を聴いたりして過ごすのも悪くない。最近はスマホで動画を観るのにもはまっている。だが、詞葉の中には本当にそれでいいのだろうかという焦りがあった。このまま高校、大学と過ごしていくうちに、何も個性のない人間になってしまうのではないか、と。思えば進路だってそうだ。昔から科学に興味があり、理科は一番の得意科目だが、自分は理系として大学に進学するのだというぼんやりとした意識だけがあり、その後のことは考えていない......

 

 授業の終わりを告げる英語教師の声で詞葉は我に返った。詞葉は英語が苦手で、勉強する気が起きず余計に分からなくなるという悪循環に陥っている。どうせ文系科目だと決めつけてはいるが、いつか困ったことになるのは間違いないだろう。

 

 ともかく、これで今日の授業は終わりだ。詞葉はほとんど何も板書していないノートを閉じて荷物をまとめ始めた。今日は図書室にでも寄ってから帰ろうか、何か面白い本が見つかるかもしれない。

 

 そうして立ち上がったところで、詞葉はクラスメートの一人がこちらに歩いてくるのに気がついた。

 

「織野さん」

 

「あ、えっと......小牧さん?」

 

 詞葉は昔からクラスメートの名前を覚えるのが苦手だ。彼女の名前を覚えていたのは、偶然席が近かったからだろう。

 

「夕夏でいいよ。そうだ、織野さんのことも詞葉って呼んでいい?」

 

「え......うん、いいよ......」

 

 詞葉は、こういう人は少し苦手だなと考えていた。今まで名前で呼び合う仲の人があまりいなかったのもあって、急に距離を詰められるのには慣れていないのだ。こんな社交的な人が、私に何の用だろう。しかし、次に夕夏の口から出た言葉は、詞葉にはまるで想像もつかないものだった。

 

「それで、突然だけど、言語学部に入らない?」

 

「え? 言語学?」

 

「そう。言語学。」

 

「でも私理系だし英語できないし、それに言語学なんて何をするのかすら全然分からないよ......」

 

 あまりにも唐突な勧誘に驚いた詞葉は、もっともらしい言い訳を並べて断ろうとしていた。そして途中ではっと気付いてその発言を後悔した。このまま部活に入らずに過ごすくらいなら、言語学部でもなんでも入ってみればよかったかもしれない......

 

 そうやって一人思い悩む詞葉に、目の前の少女は「ふふっ」と笑いかけると、

 

「大丈夫だよ。言語学は実は理科や数学に近いくらいで、英語ができるかなんて全然関係ないの。詞葉って理科得意でしょ?」

 

 と意外なことを言ったのだった。理科っぽさもあると言われると、少し興味が湧いてくる。しかし、まだ言語学が何なのか全く分かっていない。

 

「それで、言語学ってどういうものなの?」

 

「いい質問だね。一言で言うなら、言語の仕組みを研究する学問、って感じかな。そうだ、『案内』と『案外』って言ってみて。あ、あと『アンパン』も」

 

「案内、案外、アンパン......それで?」

 

「そこに出てくる『ん』の音、四つあるでしょ。それ、実は発音が全部違うんだ!舌の位置を比べてみて」

 

 もう一度、あ「ん」ない、あ「ん」がい、ア「ン」パ「ン」......と発音を意識しながら復唱する。

 

「確かにちょっと違う気がする」

 

「本当はそれぞれ[n], [ŋ], [m], [ɴ]みたいに音声記号で表せるんだけど、それはまた今度。これは言語学の分野の一つ、音韻論の例だけど、普段使ってる日本語にも知らないことがあるって面白くない?」

 

 詞葉は内心、かなり興味を惹かれていた。人間に言語が使えるのは当たり前のように思っていたが、意外と言語って奥が深いのかもしれない。

 

「もっとそういう話、聞きたいかも」

 

「だったら......言語学、やってみる?」

 

 夕夏が目をキラキラさせて尋ねる。しかし、詞葉はまだほんの少し迷っていた。言語学は確かに面白そうだが、勉強するだけというのはどうしても物足りない気がするのだ。部活といえば大会に出て全国を目指すものというのは小説の読みすぎだろうか。

 

「でも、言語学って、せっかく部活でやるんだから大会とかないの? こういうことを言うのも悪いと思うんだけど」

 

「あ、話すの忘れてた。実はね、言語学部のもう一つの活動は、言オリっていう競技の大会に出ることなの」

 

「言オリ?」

 

 続き: 北曽戸高校言オリ部 2 - green+の無人島